Izawa Motohiko
井沢元彦氏へのよくある質問です。質問したい方はこちらからどうぞ。
 
井沢元彦の書斎

関が原の決戦で、吉川広家が東軍に内応することは、先生もお書きのように、家康には確信があったと思います。また、小早川秀秋も叛応してくれるとみたからこそ、決戦に踏み切れたのだと思います。しかし、小早川が動かなかったら、戦況は西軍多少有利のまま、膠着状況になったはずです。用心深い家康は、その事態を想定して、戦略なり対策を立ててはいなかったのでしょうか?(T・Mさま)
 
真田昌幸、幸村父子が秀忠軍を釘付けにしたために、東軍は数万の軍勢の到着が遅れたことを見逃してはいけません。しかも、これは最近になり学者からも聞かれるようになった見方ですが、秀忠軍こそが本軍で、家康は寄せ集めの軍を引き連れていたようなのです。つまり、秀忠軍が予定通りに戦場に着かなかったから、とんでもないことになった。逆にいえば、秀忠・本軍を釘付けにした昌幸の戦略が凄かったわけで、もし西軍が勝っていれば彼が殊勲第1等だった。他方、家康は藤堂高虎に後方のことをまかせていたふしがあります。もしものことがあったら、藤堂高虎がバックアップし、その勢いもって巻き返しをはかるとの策を用意してあった。
   
先生は、卑弥呼の呼び名が、本名ではなく、日の巫女の意味ではないかと推理なさっていました。では、卑弥呼の地位を引き継いだ女王の名は、なぜ壱与(イヨ)なのでしょうか? また、天の岩戸が日食を表し、それを理由に卑弥呼が殺害されたとすると、スサノウの乱暴狼藉はどういう意味があるとお考えですか? 卑弥呼も、日の巫女ならば、日食について考えを及ばし対策を練っていたはずに思いますが? それがなかったから、事態に衝撃を受けて、心臓麻痺を起こしたのではないですか。(T・Iさま)
 
ぼくは、壱与ではなく、台与(トヨ)だと思っている。はっきりとはわからないが、イギリスの皇太子が「プリンスオブウェールズ」と呼ばれるのに似て、跡を継ぐ者には決まった名称があったのではないか。ぼくは、それが台与ではなかったかとみています。次にスサノウの乱暴狼藉の含意ですが、馬の生皮を剥いでアマテラスが作業する場に投げ込んだとの逸話には、アマテラスは農耕民族の代表で、スサノウは狩猟民族の代表という、二者の対立が表されているとみています。これは、部落解放同盟の辻本正教さんの説ですが、農耕民族は「皮を剥ぐ=毛を刈る」を「作物が枯れる」に結びつけ、〔ケガレ〕だと忌み嫌った。最後の質問、卑弥呼と日食についてですが…。卑弥呼は、神を信じ、自分さえ誠実に信仰していれば、日食など起きることはないと思っていた。日食が起きたときの策は練っていなかったでしょう。だから、ショックで心臓発作を起こしたとみることも可能です。しかしながら、不幸な死に方をしたからこそ、これほど長く卑弥呼の名が残った。不幸な死に方は、日本、とりわけ古代において、神になる重要な条件であると私はみています。したがって、自然死よりも殺された可能性が高いと考えています。
   
丙子胡乱の時に、明は後金「清」に抗し、宗主国として朝鮮をバックアップしなかったのですか。また、現在に至るまで何故、”小中華思想”の韓国は大清皇帝功徳碑(三田渡碑)を破壊しなかったのでしょうか?(T・Kさま)
 
明には、金の攻撃から自国を守るのに精一杯で、朝鮮に援軍を送るだけの余力がありませんでした。大清帝功徳碑は、もともとモンゴル語かなにかで書かれてあったので、多くの朝鮮人はその意味を知らなかったのです。しかも、後にそれは川に遺棄され、日本統治時代に引き揚げられました。朝鮮国王・仁祖が清の太宗に土下座する姿を描いたレリーフは、全斗煥大統領の時代に加えられたもので、本来は碑文のみでした。
   
私も、井沢という苗字です。新潟在住ですが、ご先祖様は数代前に北陸から流れてきたそうです。昔に読んだ苗字の本には、坂上田村麻呂が築いた胆沢城(岩手県水沢市)というのが関係しているらしいとあったのですが、眉唾物です。先生は、井沢という苗字について、どのようにご存じですか?(E・Iさま)
 
私も自分の姓だから研究したことはあるのですが、胆沢城と関係がなかったとも言い切れません。むかしは、宛てられた文字よりも、発音が同じならば同じということがあった。私の知る限りでは、イザワには2つの系統があります。甲州、甲斐源氏のなかに石和(イサワ)というのが一つ。その流れかもしれませんが、徳島のほうにも一つあるようです。もう一つは、実は私がそうなのですが、播州(兵庫県南部)、姫路あたり、揖保川流域がイザワ姓、特に井戸の「井」のイザワ姓の多いところと言われています。私はそちらの出身です。先祖の墓もそこにあります。
   
福岡県在住の古代史ファンです。祟り神社の参道は曲がっているとの先生のご指摘に賛同しています。以前から大宰府天満宮の参道はL字型に曲がっているのを不思議に思っていましたが、納得しました。伊勢神宮の参道もまた曲がっておりますが、これについて言及されたものがありません。先生はどのようにご覧になっていますか。(K・Tさま)
 
伊勢神宮もまた、参道の曲がっていることは古代の祭祀になにか深い関わりがあるのではないかという疑問については、私も賛成です。
   
井沢さんは「南京大虐殺は無理だ」と唱える際に、「ナチス・ドイツは始めから死体処理の焼却炉を造っていた」とアウシュビッツを引き合いに出されます。しかしながら、“ホロコースト否定論”によれば、「米軍が撮った航空偵察写真には煙の出ているものが一枚もない。煙が出されているのは偽造だった」、「ユダヤ人の人口からいって600万人虐殺はありえない(最近は100万人に下方修正された)」など、疑わしい事実がいくつもあるそうです。井沢さんは、それを踏まえてもホロコーストはあったとみて、南京大虐殺否定の例証に上げているのですか?(T・Hさま)
 
その犠牲者の数については異同があるかもしれませんが、基本的にはホロコーストは行われたと考えています。さまざまな証言や遺物の存在、あるいはドイツがそれを認めてホロコーストの犯罪者を常に追及していることからみても、やはりホロコーストそのものはあったといっていい。問題なのは、一部の過激な中国人が、「ホロコースト IN 南京」と言っていることです。これは完全な間違いです。ホロコーストとは、一民族を絶滅させるという思想上の理由から始まったことです。南京で虐殺があったとしても、それは戦争の過程において偶発的に起こったものであり、日本人には中国人を絶滅させる意図はまったくなかった。なぜ、ジェノサイドと言わず、ホロコーストと呼ぶかというと、「種」として絶滅させる意図がそこにあったからです。私は、「南京大虐殺」とはいわず、ただ「南京虐殺」、または「南京事件」と呼んでいますが、そういう意味でもホロコーストとは違うといえます。
   
将棋の「ときん」についての質問です。以前(20年くらい前でしたか)、古い将棋の駒が発掘され、歩の裏には「今」の崩し文字(ひらがなの〔と〕に点を一つ打ったような字)が書かれており、「今」も〔きん〕と読むので、その字をあてたのだろうとされていました。そのうちに、点が取れ、〔と〕になってしまったのだろうという見解がありました。その説は、最近は否定されたのでしょうか。(S・Oさま他1名さま)
 
「今」という字が〔きん〕の源流だとは、知りませんでした。ただ、むかしは当て字が非常に多かったので、「今」が宛てられたのもずっと後のことではないかと考えます。「ときん」というからには、〔と〕の意味がはっきりとしなければいけない。やはり、金メッキにあたる「と金」が由来と考えていいのではないだろうか。いまでもメッキの剥げた人間という言い方がされますが、そういう表現は人類に古くからあるものです。「歩(兵)」は裏返ると、金とまったく同じ働きをします。しかし、元々は違うという意味で、「と金」としたのではないかと考えます。「今」を由来とするならば、こうした説明がつきません。
   
江戸時代の和船の性能について、かなり低い評価をされていましたが、実態はいささか違うようです。
例えば、
1.帆柱は1本であった。
→前後に補助の帆柱を立てた物がいくつか船絵馬等に残っております。また、あの程度の大きさならば、むしろ一枚の大きな帆の方が効率が良かった様です。
2.ちょっとした暗礁も避けられなかった。
→和船、特に弁財船は狭い港で小回りを利かすため、極めて大きな舵を備えており、操縦性は良かったようです。この舵は大きいため船の横滑りを防ぐ効果もあり、ヨットの様に逆風に対して遡ることもできました。

どうやら、和船は可哀想に、江戸時代をけなす傾向の強かった明治風自虐史観?と現代の自虐史観の往復ビンタを受けたようです。尚、百聞は一見にしかず、大阪港に日本唯一の千石船の「実物」を展示している博物館があります。私が今住んでいる堺の造船所で建造し、実際に帆走実験までした物です。機会がありましたら是非とも御覧頂きたく存じます。(T・Nさま)
 
この件に関しては私も大変に勉強になりましたので、今後の「黒船論」を書くときに参考にさせていただきたいと思っています。和船において、江戸時代の数学である「和算」が世界水準にあったことを示し、また創意工夫のあったこともわかりました。ただ、鉄をいかにして作るかなど、基礎的な技術を統合して物を作る発想に欠けて、その点で洋船に及ばなかったと思っています。
   
今、僕は中3です。「逆説の日本史」、興味深く拝見させていただいております。これがきっかけで、「歴史ノンフィクション推理小説家」を志すようになりました。今、「義経」「三国志」を書いています。今度、小学館ノンフィクション大賞に応募してみようと考えています。ところで、井沢先生のように、斬新な切り口で、歴史を描きたいと考えているんですが、井沢先生は、どう「歴史」を見ているんですか? また、これは個人的に気になったことなんですが、血液型は何型ですか?(Y・Sさま)
 
ノンフィクションは虚構を排し、逆に小説は虚構を入れてよい。この区別については、中津文彦さん、高橋克彦さんとの共著、「歴史ミステリー講座」という本に書いています。それを読んでもらえるといいかな。ノンフィクション大賞に応募するなら、ノンフィクションでないとダメだよ。テーマに、義経を取り上げるとするね。彼の生涯を面白く書くのではなくて、実像はどうであったのか迫らなければいけない。美男といわれているが本当にそうであったのか? 文献、史料、あるいは当時の人の証言を中心に追求していくのがノンフィクション。ぼくは、よく斬新な切り口と言われるけれど、必ずしもそうではないと思っている。学者のように社会から遊離した視点には陥らずに、あくまでも一般常識人の価値観から、わかりやすくいうと子どもの目、当たり前の目で見ているだけだよ。ちなみに血液型はB型です。
   
サピオ連載「逆説のアジア史紀行第四回」を興味深く読ませていただきました。朱館長との対話は勇気ある企画だと思いましたが、その中で気にかかるやりとりがありましたのでメールさせていただきます。 朱、「毛沢東や周恩来は偉大な人物で、中国の将来に対して前向きな姿勢で、賠償金の請求を放棄した。」とありましたが、これは全くの誤りです。  ご存じとは思いますが、戦後賠償金の請求をするには在外資産の精算をしなければなりません。当時日本の在外資産は膨大な額に上っており、精算すれば逆に中国が日本に支払う羽目になったからなのです。このことははっきりと中国側に主張すべきことであり、今後機会がありましたら、内外を問わず広く伝えていただきたいです。ところで、「南京大虐殺記念館の世界遺産への登録申請を許すな」とのタイトルですが、登録すれば公平で精密な検証が入るはずです。(K・Oさま)
 
在外資産の精算をすれば、プラスになるのですか?! 大変、参考になるご意見であり、是非とも検討させていただきます。ただ、「世界遺産への登録申請では公平で精密な検証が入るのでは」とのご意見ですが、審査には情実、不正がともなう可能性がひそんでおり、私は必ずしも公平な裁きがあると考えないほうがよいと思います。
   
千葉県船橋市に住む30歳のOLです。中学生の時にはじめて手にした小説が「ドラゴンバスター」で、それ以来、先生の大ファンになり、フィクション作品をたくさん拝読させて頂きました。中でも好きなのは「叛逆王ユニカ」シリーズです。とても面白くて当時何回も読み返していました。(もちろん今でも大切に持っています)「叛逆王ユニカ」の続編はないのでしょうか? 2の終わり方は、いかにも”つづく”といった感じで、ずーっと続編を待ち続けているのですが…。(E・Hさま)
 
角川書店で、この路線の本を出さなくなってしまったものですから…。せっかく、安彦良知さんに素晴らしい画を描いていただいたのですが。あのテレカはいまでも私は大事に持っており、レアものです。ちなみに、「銀魔伝」も早く書けと編集者からせっつかれておりますが、こちらは今年に続編を出版します。おっと…、その前に雑誌に掲載しなければいけないのか(笑)。
   
「上代特殊仮名遣い」は朝鮮語を母語とする朝鮮帰化人の用字法ではないか、という仮説をたて、国語学・言語学(音声学)・朝鮮語学・歴史学・言語社会学の多方面から本格的に研究した結果、私の仮説は100%間違いない、という言語学(音声学)的な証拠をつかみました。私の説は「上代特殊仮名遣い」のオ段甲乙音の使い分け法則は現代日本人(特に関西方言)の発音に今も残っており、日本語の母音の発音自体は奈良時代も現代も全く変わっていない。それが奈良時代に書き分けられていたのは、663年の白村江敗戦後に日本に大量亡命してきた、朝鮮語を母語とする百済帰化人(朝鮮語には母音が八つある)一世・二世が書き分けていたからであり、奈良時代後半(700年代後半)から「上代特殊仮名遣い」急激に崩壊してゆくのは、白村江帰化人達が三世・四世へと世代交代し、日本語が母語化して朝鮮語能力を失ってしまったからである、というものです。

私の説の最大の根拠は音声学にあり、現代日本人が今もなお「オ段甲乙音」を使い分けていることは、私の指示通りに発音実験をしてみれば誰でも分かることであり、故に両学会発表共に、国語学会の重鎮と呼ばれるような方々が聞きに来ていましたが、正面切って私の説に反論できた者は誰一人いませんでした。ところが、これを論文にすると、論文は音声を発しないので、国語学者や朝鮮語学者の「資料に基づいた分析がどうのこうの・・・・」というくだらないコメントがついて戻ってきてしまいます。

とはいえ、何らかの方法で出版しないかぎり私の説は世に出ず、世に出すためには愚かな国語学者達をギャフンと言わせる必要があり、多くの私の説の支持者の先生方から「論文ではなく単行本として出版しろ」と勧められ、いま鋭意執筆しているところです。ただ、この本をどこから出版するかまだ決まっておらず、幾つか言語関係の専門出版社からのオファーはありますが、私としては一般読者向けの読み物として一般の出版社から出せないかと考えて、先生にご相談を願う次第です。(Y・Fさま)
 
非常に興味深いご研究をなさっていると思います。CDの副本を付録にした著作を出版なされるか、あるいはご自分のウェブサイトを立ち上げて、音声素材をmpg3形式などで公開し、ご自分の説を世に問うてみてはいかがでしょうか。

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