Izawa Motohiko
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井沢元彦の書斎


世界には「平和」より上位に置かれる価値観もある
平和というものは、机上の空論から生まれたものではありません。現実に武力を持ち、そしてさまざまな欲望を持って動いている国家や民族を、どのようにコントロールしていくかという具体的な知恵の所産なのです。世界の人々がみな平和を望んでいるのだから、「平和平和」と唱えていれば、自然に平和に収束していくというのも大きな間違いです。これは人間にとって厄介なことなのですが、ある種の民族は、平和よりも大事なものがあると考えています。たとえば、それは「正義」です。正義を守るためには平和を破ることも辞さないということで共通するなら、ある意味でアメリカもオサマ・ビンラディンも同じ穴のムジナであると言えます。ただ、「正義」の内容が全然違っているから、皮肉なことに殺し合いになるというわけです。

日本を滅亡させる共通の病根とは?
今の日本は、官僚主導国家、つまり政治が不在で官僚が国をコソトロールしていると言われるが、実は戦前もそうだった。政治が不在で、軍部がコントロールしていた。その結果どうなったかというと、当時の日本、つまり大日本帝国は亡びたのである。同じことが起こらないとどうして言えよう。いや、このままでいけば確実に起こるだろう。戦前は軍国主義だったから日本は亡びたという、教科書的な説明がある。これは一面では真理かもしれない。しかし、誤解を恐れずあえて言えば、軍国主義でもきちんとした軍国主義をとれば、そう簡単に国は亡びるものではないのである。つまり、無条件降伏などという惨憺たる結果に終わるということはないのである。戦後の平和教育を受けた人たちは、この私の言葉に反発するかもしれない。しかし、軍国主義を定義すると、国家の目的あるいは達成目標を軍事的手段で解決する主義、ということになる。

「織田信長」的人物の末路
それは、要するに独断で決める人間が悪であるという発想でしょう。この民主主義の時代ですら、選挙で選ばれた人間に権力を与えることを日本人は「独裁」と考えて嫌がるわけです。それだったら、そうではない時代に「独裁」権力を振るった人間がどのような反感を抱かれたか、想像できるというものでしょう。ちなみに現代の政治家で小沢一郎さんという人がいますが、この人も人気がないのもそのせいです。もっとも、最近だんだん人気が上がってきたということは、日本人がやはり、このようなメンタリティのままではいけないということに気がつきはじめているからでしょう。ただし、それは乱世が終了するまでで、これまでの歴史を見れば、乱世の雄というものは必ずそれが終息した段階で、あるいは終息の方向が見えた段階で排除される。織田信長しかり、大久保利通しかりです。

これからの宗教戦争
人間の最大のアイデンティティというのは、言語と宗教だと私は思います。その言語と宗教を同じくするものというのは、チベットなどもそうですが、なかなか他とは交わらないのです。それを無理矢理分けてしまったり、国境が確定していなかったり、あるいはパレスチナのように後から国ができてしまったりということがあると、どうしても争いの元となってしまうのです。ですから簡単に言えば、昔の戦争は教徒同士の争い。いまの戦争は人種の争いという言い方ができると思います。宗教はそのアイデンティティの看板となる重大な要素ではあるけれど、いまは単に「おれはイスラム教徒でキリスト教徒のああいう考え方が気にいらねえ」ということで争っているのではなくて、人種同士の対立が宗教が違うことによってさらに拡大されている状態だといえると思います。

日本の政治は、いまだにマツリゴト
そもそも政治というのは、その以前、現在われわれが、近代の概念で捉えられるようなものとはまったく違っていた。特に日本ではそうであった。具体的に言えば、本来政治というものは、国という人間の集団がまとまってやらねばならないこと、たとえば軍事、たとえば警察、たとえば徴税、たとえば教育といったことに対し、その方法を定め、機構を整え、人員を整備し、予算を分配するというのが政治というものである。ところが、かつての日本における政治というものは、むしろそのような具体的な作業であるよりも、国全体の、あるいは民族全体の幸運を祈るための一種の宗教的行事であった。「政」と書いてマツリゴトと読むのが、この意識を示している。つまり、祭るというのは鬼神あるいは怨霊、神であり、それを祭ることがイコール政治であるというのが古代日本の考え方であった。そして、これは古代だけではなく、言霊が現在も生きている日本では、いまだにそれが真実なのだ。危機管理も未来予測も、言霊民族には必要がない。

憲法という「御神体」を奉る護憲論者
つまり護憲論者たちがとっている行動とは、彼らが「絶対に護る」と主張している憲法の精神から完全に逸脱した行為なのである。この矛盾を彼らが理解できないのは、戦前に天皇を神格化したのと同様に、現行憲法を神格化し妄信することで思考停止してしまい、それを護っている自分たちを絶対の正義と位置づけ、異を唱える人間の発言は封殺してもいいと考えるからだ。こういうのをファシズムという。皮肉なことに、むしろ憲法改正論者こそ、憲法の理念を生かすという意味で護憲の立場にいるとすら言える。いわゆる護憲論者というのは憲法という「御神体」を侵すべからざる存在として奉り、批判を許さないとするファシストなのである。彼らが口汚く罵っている対象にもっとも近いのが、彼ら自身なのである。こういった「憲法真理教」「人権心理教」の信者ははやく正気に戻ってもらいたいものだ。

一刻も早く憲法改正を!
とにかく、国民の安全を守るための軍隊を持てないという憲法は、欠陥憲法以外の何物でもない。それでも「平和」と叫ぶ人に最後に一言言おう。この東アジアにおいて「当面の平和を確保する」ということは、北朝鮮の人民の苦しみはすべて放置するということだ。多くの人間が餓死し、理由もなく処刑され、様々な形で人権が弾圧される状況を見逃すということだ。つまり「北朝鮮の国内でどんな残虐なことが行なわれようと、外に侵攻しない限りは見逃す」ということなのである。もちろん、だから北朝鮮に侵攻してただちに人民を解放せよ、とは私も言わない。しかし、少なくとも、これは「悪を見逃す」ということなのだから、「平和=絶対の善」ではないということは認識してもらいたい。ただし、19世紀以前なら、確かにこの手で「平和を確保」できたかもしれないが、今は違う。それは「核」という「大量破壊兵器」が存在するからだ。今回のアメリカの行動を支持するにせよ、しないにせよ、その背景にはそうした昔とは違う「現実」があるということだけは、人類すべてが認識しなければならないことなのである。


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